西日の差し込む休憩室はほんのりと暖かい。白波百合はいつもの様に山吹薫の正面に座る。腰掛ける丸椅子はまたいつもの様に気怠げに右手て頬を支える山吹の正面に置かれる。
しかし、急に転院とはな。大丈夫か?
自分は大丈夫っすけど・・・患者様が心配っす。
白波の患者が今日急遽転院となった。遷延した感染症が体を蝕み、集中治療が必要になったのがその理由だった。
敗血症性ショック・・との事っす。敗血症って・・・怖いっすね。
そうだな。敗血症はある意味誰にでも起こる可能性はある。そして高齢であり身体の抵抗力が低下している事でまたリスクも高くなる。
いつもの様に振る舞おうとしても、やはり患者様の急変は心の中に影を落とし込む。随分と昔回復期で経験した、その時よりも理解が出来るけれど、それでも・・・と白波は思う。
そもそも敗血症は、菌血症、つまりは血流に細菌が存在する状態や他の感染症に対する重篤な全身性の反応が生じる。それに加えて体の重要な器官や臓器に機能不全が起こる病態だな。通常特定の細菌へ感染する事で生じるとされている。
感染症・・・ある意味何かに感染してそれで治療の必要性があるっすから、誰でもリスクがあるというのも頷けるっす。
そうだな。と山吹は答える。期間としては短くとも長い時間を山吹と一緒に過ごした白波には分かる。意外と随分と心配性っすよね。と白波は思う。
そしてそれが全身的に広がり、いわゆる炎症症状が全身で起こると血圧を保てなくなりショック状態に陥る。これが敗血症性ショックだな。血圧が保てないという事は、体のエネルギー産生に関わる酸素や栄養素を重要な器官に送れないという事でもあるな。
それでその器官や臓器は働くにも栄養や酸素が必要な訳っすから、それが足りなくなって機能が十分に果たせなくなるという事っすね。
それで生じるのが多臓器機能障害だな。これは敗血症性ショック以外でもショックが高度に進むと生じる。
山吹は表情を変えずにそう答えている。それでも手元の文献のページは進んでいない。先輩もなにやら悩んでいるっすね。と白波は思う。その事は十分に自分も分かっている。
もちろん体には細菌を始め様々な感染症と戦う免疫機能があるが、それが絶対的に、もしくは相対的に低下しているとそのリスクもまた高まる。
えぇと、例えば体調を崩している・・・とかっすか?
もちろんそれもそうだが、例えば慢性疾患を患っている時、人工関節や人工心臓弁を使っていて体の中に何らかのデバイスがあるとリスクにもなる。だけどもそれは、それが生きるために必要な方々だから、敗血症のリスクを避けるために使用しないという判断にはならない。
あくまで健康な大人とは違ってリスクがあるって事っすね。それでも普通に生活していれば大丈夫な訳っすけど、多少は・・て事っすね。
そうだ。と山吹は答える。最近は先輩は特に考え込んでいると白波は思う。それはきっと仕事だけではなくてきっと、前に進もうとしているからだと白波は思う。
敗血症、もしくはその進行には当然熱が出る。免疫応答にて体がその細菌を退治しようとしているからな。だけどもそれに打ち勝つ事が難しくなり体温がどんどん上がっていくと悪寒戦慄や脱力もまたある。
ふーむ。ならやっぱ在宅でも臨床でも良く有る合併症、誤嚥性肺炎や尿路感染症といった疾患もリスクになりそうっす。
それらの疾患から移行する事もまた臨床ではよく経験する事だと思う。必ずしもでは無いがな。そしてそれらが進行すると心拍数や呼吸が浅く早くなり、時には錯乱を起こす。特に認知症を患う高齢者で多いのがいつもと違う様子だったりもする。そして高度に進行すると全身で炎症が進み、炎症反応の結果、血圧が保てなくなる。という風に症状は進む。
でも感染症だったり、誤嚥性肺炎や尿路感染症を患っていて、全身の耐久性が低下している人でそのような症状を呈していたら、敗血症の進行を疑わないといけないっすね!
そうだな。と山吹は言葉少なくそう答える。その意味はきっと・・・と白波は想う。
そうだな。そして医師により血液や尿などの細菌を確認されて診断は確定する。何事も予防は必要だが、それでも仕方が無い事もまたあるんだ。
昔に聞いた先輩の過去。その話の続き・・・先輩の、たぶん先輩が尊敬する以上の感情を抱いていた石峰優璃主任の過去。今の自分を乗り越えるためにそれを・・・聞いてみたい。白波百合は改めてそう思った。
山吹薫の覚書 54
・敗血症とは、誰にでもリスクはある。そして別の疾患の治療を進めていてもまたリスクの一つとして念頭に置く。
・症状が進行するとショックに陥る。血圧が保てずに必要な臓器に血流が送れず多臓器機能障害に陥る事もある。
・きっとこの子はもう分かっているのだろう。
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